雑誌やブログ、ユーチューブなどでライフスタイルに関する情報をみるのが好きです。
私も整った生活にあこがれてみているうちに、ネットがいろいろとお勧め記事を紹介してくれるようになりました。
男性、女性に関わらずミニマリストとしてミニマルな生活を送っている方が世の中には結構いるのだなと感じました。
私も持ちモノが少ない方だと思います。
誰かと比較したわけではありませんが、多くはないと思います。
自分の持っているモノはある程度把握しています。
あれ、それなら私もミニマリストなのかな?
モノの数だけを基準にすれば、必要最小限で暮らす私もミニマリストと言えるかもしれません。
では、ミニマリストとはモノを最小限しか持たない人のことを指すのでしょうか。
ミニマリスト生活を広く世界に伝えた一人として、ジョシュア・ベッカーさんがいます。
彼の著書「より少ない生き方ーものを手放して豊かになるー」(かんき出版)を読んでみました。
ミニマリストの定義とは
そもそもミニマリストとはどのような人たちのことを言うのでしょうか。
ミニマリストとは、ミニマリズムに則ったライフスタイルを送る人のことです。
ミニマリズムとは
「ミニマリズム」は元々芸術分野で使われていた言葉で、装飾的趣向を最小限まで省略する表現スタイルのことを言うそうです。その精神が建築分野や音楽、生活にも広まって、特に私たちには生活スタイルの一つを表現する言葉としてなじんだようです。
ジョシュアさんはミニマリズムを、
いちばん大切にしているものを最優先にして、その障害になるものはすべて排除すること。
より少ない生き方ーものを手放して豊かになる生き方ー 36ページより
と定義しています。
ジョシュアさんは休日にガレージにある大量のモノを片付けなければいけなかったため、息子と遊んであげる時間が取れないことに疑問を持ち、ガレージのモノを手放し始めたそうです。ジョシュアさんが最優先したいことは、大量のモノを管理することよりも息子との時間だったのです。
なぜモノを手放すのか
自分の気持ちをよく理解している人はそれほどいません。
人生に何があれば満足できるのか、そのために何が必要で何をすればいいのかなど明確に答えられない人の方が多いでしょう。
それを知る一つの方法が持っているモノを並べ、それが今の自分にとって必要か必要でないかと考えることです。
本当にそれが必要なのか、それがなかったら自分はどうなるだろうか。
「ミニマリスト」と聞くと、テーブルも椅子もないガランとした部屋で床に座っている絵を思い浮かべる人もいるでしょう。
本当に自分を見つめ直したい場合、一度極端に手放してみるのもひとつの方法かもしれません。
著書の中でジョシュアさんは、
ミニマリズムに決まった公式はないし、満たさなければいけない基準もない。
より少ない生き方ーものを手放して豊かになる生き方ー 54ページより
自分のライフスタイルに合った方法で、自分なりのミニマリズムを創造すればいい。
と言っています。
多くを手放してみて本当に自分の望むものに気付き始めたら、それに必要なモノをまた増やしていってもいいんです。
では、私がなぜ最小限のもので暮らしているかというと…
私がモノを持たない理由
理由1:目から入る情報が多いのが苦手(気質的理由)
モノを多く持たない理由の8割はこの気質のせいかもしれません。
数はもちろんのこと、色、質感などの種類が多ければ多いほど落ち着かなくなります。
ですから、例えば部屋がよくある木目のフローリングに白い壁であれば、家具は同様に木製のテーブルや白い棚だと落ち着きます。
そこに緑のカーテン、黒のテレビ台、スチールの棚、ピンクのベッドカバーなど色や質感の種類が増えれば増えるほど胸がざわざわします。
また、洗剤のボトルが苦手です。
ピンクや水色、紫、黄色のボトルに大きなロゴの入ったデザインは並んでいるとつらいです。
商業的な狙いがあるとは理解しています。
非効率でも私は使うとき以外は棚の中にしまい込んでいます。
時々インスタグラムなどで、真っ白な部屋に暮らし、真っ白なボトルに洗剤を詰め替えて置いている写真を見ることがあります。
住んでいる人はきっと私と同じ気質の方ではないだろうかと一方的に親近感を覚えます。
理由2:買うお金がない(経済的理由)
少し強い言葉を使ってしまいましたが、本意は「他に優先度の高いことにお金をつかっているから、モノを買うことは後回し」という意味です。
日常の食事や光熱・通信費のほか、自己投資や旅行費用の方が今は優先度が高いので、モノとして残りません。
必要ではないけど欲しいモノはたくさんあります。
特にファッションに関しては、なくても困らないけどあるといいなと思うものがいくつもあります。
このパンツの時はこの靴の色は合わないなとか、このコーディネートにこのバッグは合わないなと思うことがあります。
ただ、最初の理由で述べたようにクローゼットの中があふれるのはやはりいやなので、一つあればオールマイティーに使えるデザインの靴やバッグはないだろうかと都合のいいことをいつも考えてしまいます。
理由3:掃除がラク(効率的理由)
私は掃除が好きな方だと思います。少なくとも苦に思うことはありません。
ただ実家に帰った時に掃除を手伝うと、掃除って面倒だなと感じてしまいます。
1ルームと一軒家では掃除する範囲が圧倒的に違うので大変さはもちろん違いますが、そのことよりも私はモノが掃除をしにくくしていると思っています。
棚の上には小さな飾り物が並び、床はマット類、それほど広くないリビングにはテーブルやいす、ソファ。
モノをどかしながら、またモノとモノの間をぬいながら掃除するのがなんだか大変なんです。
風呂場には、使わない時でも洗剤やスポンジが置かれているのでそのボトル自体も洗わないとヌルヌルになりそうですし、洗面台の鏡の前にはブラシや歯みがき関連の小物が並んで鏡を拭くにもいちいちどかさないといけません。
母なりに使いやすいように配置しているので、たまにしか来ない私が口出しするつもりはありません。
ただ、掃除が嫌いな人ほど掃除がしやすいモノの置き方を考えてみると苦じゃなくなるかもしれません。
結論:私はミニマリストなのか
ミニマリスト=モノが少ない人ではないことがわかりました。
モノを持つことよりも経験や体験を優先している点では、私はミニマリストと言えるかもしれません。
一方で私には物欲もあります。
洋服はたくさん持ちたくないと考えながらも、いつも少し足りないと感じています。
ベッドカバーや冷蔵庫もあるのに、もっと違うものが欲しいと考えています。
多くの人がモノを手放して豊かな人生を送り始めている中、私はこれ以上手放すものもなくてむしろいつももう少し欲しいと願っています。
こんなに物欲にまみれていると、ミニマリストですと宣言してはいけない気がします。
私は改めて多くのモノを手放したことがないので、ジョシュアさんのようには具体的な手放し方をお伝えすることができません。
でも少ないモノで暮らす心地よさは常に実感しています。
これからは改めて私とモノの付き合い方を考えていきたいと思います。